実家の母が14日の早朝、家族が見守る中眠るように息をひきとりました。
七月十四日に入院しそのまま家に帰ることなく亡くなってしまいました。
緩和医療のある病院への転院出来るまで、自宅に退院してベットが空くのを出来るだけ良い環境で待てるよう介護認定の手続きなどをしていましたがそれさえも叶うこともなく・・
子供や孫達の呼びかけも虚しく亡くなってしまいました。
肺の機能、心臓の機能、色んな機能が弱っていく中皆の呼びかけに「生きよう」とする反応を返してくれながらも最後になってしまいました。
最後は、痛がらず、苦しまずだった事が幸いでした。
穏やかな表情で、入院中よりも綺麗なお顔にもどりました。
お化粧をさせてもらいました。
着物は子供の時、入学式等で着ていた思い出のものを私と私の三人娘達(孫)と着せました。
とても美人になりました。
お盆中であり、熊野大花火があり、さんりんぼうや友引で葬儀が出来ず、御通夜は明日20日、葬儀は21日となりました。
父が十年前に他界してからめっきり弱ってしまった母でしたが、地元の方々に可愛がっていただき、又母も元気な時は自転車に乗り、高齢になってからは自転車を引っぱって記念通り、本町通り、駅前通りと毎日買い物や用事に出かける母でした。
でもここ数ヶ月は家からあまり出る事が無くなっていました。病院嫌いで、お医者に行く事を勧めてもなかなか腰を上げませんでした。
急にご飯を食べなくなってしまい、私とわたしの弟と2人で嫌がる母を無理やり近くの医院に連れて行ったらそのまま救急車で総合病院に入院になりました。
特に一緒に住んでいた弟の落胆が激しく心配です。
入院中は弟はとてもきめ細かな心配りを母にしてくれました。感謝しています。
これから母とのお別れを悔いなく送りたいと思っています。
それから今まで母の事を可愛がっていただいた皆様に心からお礼を申し上げます。
2012 年 8 月 19 日